02


ザァザァと雨が降っている。
夕方になるにつれ怪しくなった雲行きは天気予報を無視して雨粒を落とした。

いきなり降りだした雨は窓ガラスにあたり、後方へと流れていく。
それでも電車はいつもと変わらず同じ時間にカタン、カタン…と線路の上を走る。

偶然持っていた折り畳みの傘を畳み、僕は定位置となっている座席に座りその隣に傘を立て掛けた。

ちらりと盗み見るように斜め前の手摺に目を向ければ、彼は雨に降られたのか少しばかり制服を濡らし、水気を払うように前髪を掻き上げていた。

気だるげに、やや瞼を伏せて煩わしそうに眉を寄せた彼の姿に僕はどきりと胸を高鳴らせる。

彼と一緒に同じ場にいられるだけで僕の鼓動はどうしようもなくどきどきと加速してしまう。
そのことを悟られぬようそっと僕は鞄から文庫本を取り出した。

手摺に背を凭れ、はぁ…と小さく息を吐いた彼に僕は文庫本に目を落としたまま眉を寄せる。

学校で何かあったのかな?

そう思っても僕は彼の通っている学校を知らない。
彼がどんな学校生活を送っているのかも。

知りたい…けれど知らない。
彼の過ごす日常の中へ、僕も入れたなら…。

どんどんと欲張りになっていく自分の心に僕は苦笑を浮かべる。

カタン、カタンと電車は定刻通り僕の下りる駅へと近付いて行く。

一頁も捲ることの無かった文庫本を閉じ、鞄へとしまう。
窓の外は変わらずザァザァと雨粒を落としていて、僕は…緩やかに減速する電車に合わせて小さく深呼吸をした。

雨はまだ止む気配がない。
そして、彼は傘を持っていない。
おまけに僕の家は駅から走ってすぐそこ。

ホームへと滑り込んだ電車に僕は立て掛けていた傘を手にとる。
いつものように彼のいるドアへと向かい、彼の隣でほんの少し足を止めた。

じわじわと赤くなりそうになるのを我慢して顔を上げ、僕は彼へと手に持っていた傘を差し出す。

「僕の家、すぐそこだから…良かったら使って」

いきなりのことに彼は驚いた様子で、当たり前だけど、次には困惑したような表情を浮かべる。

「…いらなければ捨てちゃってもいいから」

そう告げて僕は強引に彼の手に折り畳み傘を渡す。ドアが閉まる直前、電車を降りた僕の背中に彼の声が聞こえた。

「おい!これじゃお前が…」

心配してくれる声に僕は振り向き、大丈夫だからと笑い返す。
間を置かず動き出した電車は彼を乗せて遠ざかる。

彼からすれば僕のしたことなど気味が悪いだけだろうに。…心配されてしまった。

やっぱり彼は優しい人だと、僕は雨の降る中、温かな気持ちを抱いて家へと走った。







カタン、カタンと電車が揺れる。
俺は右手に握った傘に視線を落とす。

これはアイツの…。

今日もいつもと同じ時間が過ぎるのだと思っていた。同じ車両に乗り、ただアイツを見ているだけ。

しかし、そんな時間をアイツは容易く崩した。
俺の隣で足を止めたと思ったら、俺に話しかけてきた。その上、自分が使っていた傘を俺に差し出してきた。

手の中にある傘を見つめ瞳を細める。

アイツが何を思って俺に傘を渡したかは知らない。けれど、今一つだけ言えることはある。

アイツの言葉を思い出し俺は囁くように呟いた。

「捨てるわけ…ねぇだろ」

電車を降りて振り向き、大丈夫と柔らかく笑ったアイツにどうしようもなく心が揺さぶられる。

こんなことは初めてだ。
こんなドアさえなければ今すぐにでも手を伸ばし、この腕の中に抱き締めたかった。

「けど、いきなりそんなことしたらただの変質者になっちまう」

衝動的に駆り立てられた気持ちに自制をかける。
それでも自分だけに向けられた声に、笑顔に、想いは加速し留まることを知らない。

じわりと顔を覗かせた独占欲がアイツを欲しがる。
その瞳に俺だけを映して欲しい。

人の想いなど露知らず、走り続ける電車は次の停車駅に滑り込むとゆっくり停車した。

開いたドアからホームへ降り、改札を抜ける。
ザァザァと降り止む気配のない雨に、俺はアイツが貸してくれた傘を広げた。

「…傘、返さねぇとな」

雨に濡れることもなく、俺は温かな気持ちに包まれて家への道を歩く。

どうあれきっかけをくれたアイツに次は俺から話し掛けてみるかと密かに心に決め、その瞬間を待ちわびて俺は一人口端を緩めた。



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